脚本家の北川悦吏子さん、難病だったことについて始めて告白さえましたね。
闘病中も脚本家として書いた自身のセリフに励まされることもあったそうです。
そうやってどれだけの人を励ましてきたんでしょうか?
ここで少し北川 悦吏子さんについて見ていきましょう。
北川 悦吏子(きたがわ えりこ、1961年12月24日 - )は、日本のテレビドラマの脚本家、映画監督、エッセイスト。
岐阜県美濃加茂市出身。岐阜県立加茂高等学校普通科、早稲田大学第一文学部哲学科東洋哲学専修卒業。血液型B型。
情報科学の研究者・北川高嗣は実兄。
早稲田大学卒業後、広告代理店に入社してコピーライターを目指すも、雑用ばかりの環境に嫌気が差し退社。
その後、にっかつ撮影所に入社。脚本家の佐治乾に師事しながらプロットライターや製作アシスタントなどに従事した後、1989年に『月曜 女のサスペンス』(テレビ東京系)の一編『赤い殺意の館』で脚本家デビュー。
過去にはペンネームの「月島水樹」名義で執筆した作品もある。
1991年に放送された『世にも奇妙な物語』(フジテレビ系)の「ズンドコベロンチョ」で注目を集める。1992年、『素顔のままで』(フジテレビ系)が大ヒット。
『あすなろ白書』(フジテレビ系)などの恋愛ドラマのヒット作を連発し、“恋愛の神様”と呼ばれる。
2000年に『ビューティフルライフ』(TBS系)で第18回向田邦子賞、第8回橋田賞を受賞。
とまあ数々のヒット作を生み出している売れっ子脚本家ですね。
そんな北川 悦吏子さんですが、実は10万人に1人の割合で発症するという難病になんと
二つもかかったとのことです。
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一つは国が指定する難病の
「炎症性腸疾患」です。
1999年の夏に人間ドックで見つかったそうです。
やっぱり人間ドック、受けとくもんですね。
この病気は、大腸などの粘膜に慢性の炎症や潰瘍が起こる病気で、ほどなく倒れ、闘病生活が始まったそうです。
恐ろしいですね。
さらに、もともと肝臓に持病もあり、16歳の時にすでに、「子どもは産めない」と言われていたそうです。
しかし、1993年に結婚して、97年に妊娠が発覚。
娘さんを出産されています。
希望は捨てちゃだめですね。
「炎症性腸疾患」はと言うと、見つかってから、10年の闘病生活を送ったそうです。
その間も、脚本家として、連ドラを書いていたそうです。
その後も、様々な薬や新薬を試したそうですが、改善には至らず、最終手段の大腸全摘のオペをして、ようやく症状が落ち着痛そうです。
今度は、左耳が聞こえずらくなって医者に行くと、
「聴神経腫瘍」!良性の脳腫瘍が聴神経を圧迫し、症状を引き起こしたそうです。
今でも左耳は聞こえることはないそうです。
そんな時、落ち込んで、「どうして私ばかりこんな目にあうんだろう」
そりゃそうですよね。ドラマのような悲劇です。
そう思っていた時、自分の書いたセリフを思い出したそうです。
04年に書いたドラマ「オレンジデイズ」
障害を抱えた柴咲コウちゃん演じるヒロインの、追いつめられた時の、本音のセリフです。
それに対する相手役の妻夫木聡君演じるカイ君のセリフは、「一生、そうやって、なんで私ばっかりって言いながら生きていくのかい?」でした。
それを思い出して、また励まされたそうです。
私の好きな言葉に「生きてるだけで丸儲け」と言うのがあります。
もし自分がこんな境遇になっても、そう思えるかどうかはわかりませんが、北川 悦吏子さんは16歳の時に「子どもは産めない」と医師に言われたにもかかわらず、子供を出産することが出来ました。
もしその時、絶望のあまり自殺でもいていたら、そう思うと、やっぱり「生きてるほうが絶対いいことがある」
そう思える北川悦吏子さんの記事でした。
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2015-05-20 23:13
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