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片平巧死去!ケガが原因か? [ニュース]

オートレーサーの片平巧が20日、亡くなりました!


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まだ49歳という若さでした。


今のところ死因は明らかにされていませんが、怪我が原因ではないか?との噂がネットで話題になています。



少し片平巧さんの功績を振り返ってみましょう。


片平巧選手は1985年に選手登録をされています。


選手歴30年のベテランです。


その中でSGタイトル15勝の記録を持っていました。


ちなみに最多SGタイトル保持者は、野中和夫の17回です。それに匹敵する選手でした。


非常に惜しい選手を失いました。

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片平巧選手といえば、船橋レース場をロッカーグラウンドとして活躍されていました。


声からの活躍がまだまだ期待されていた選手だけに、オートエース界も残念でしょう。


JKA石黒克巳会長の話

「訃報に接し非常に驚いております。まずは片平選手のご冥福をお祈りするとともにご親族の方々にはお悔やみ申し上げます。85年に選手登録し、SGタイトル15Vなどの記録を持ち、オートレース界に多大な貢献を与えてくれた選手でしたので残念でなりません。」


片平選手は1965年6月14日生まれ、埼玉県出身、19期。85年に船橋オート所属でデビューすると、87年にはさざんか杯争奪戦(船橋、現・GIIさざんかカップ)を制して大レース初優勝。

90年、日本選手権オート(山陽)で特別競走(現在のSGに相当)を初制覇。

95年から98年にかけてスーパースター王座決定戦4連覇の偉業を達成するなどSG15勝、グレードレース45勝の華々しい活躍を見せ、94年から96年まで3年連続で最優秀選手賞に輝くなど、一時代を築いた。

良走路での強さとは裏腹に、湿走路を大の苦手としていることでも有名だった。


心よりご冥福をお祈りいたします。





タグ:片平巧
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加藤茶 重大な病気で 手術? [ニュース]

ザ・ドリフターズの加藤茶(72)が重病で手術?

2006年に「大動脈解離」で緊急入院したことがある加藤茶さん、その加藤茶さんが11日のTBS系「私の何がイケないの?SP」(月曜・後7時)に45歳年下の奥さん綾菜さん(27)と出演した際に、重病疑惑に対して「パーキンソン症候群」だったと告白したそうです。

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「パーキンソン病」と言えば、バックトゥーザヒューチャーのマイケルジェイフォックスさんもたしかパーキンソン病だったような。でも今回は「パーキンソン症候群」。

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「パーキンソン症候群」ってどんな病気?


パーキンソン症候群 パーキンソン症候群とは安静時振戦、無動(瞬目減少、仮面様顔貌、運動量の減少、運動の緩慢さ)、筋強剛、姿勢保持反射の主要四徴候のうち2つ以上が認められる場合をいう。文献によっては四肢体幹の屈曲位、すくみ現象を含めた六徴のうち安静時振戦、無動のほかもうひとつがあった場合を指す場合もある。筋強剛を中核症状と考えることが多い。 引用 - Wikipedia




なぜ加藤茶さんが重病説が流れていたかと言うと、昨年NHKの番組に出演した際には、ろれつが回らない状態だったことがあり、それから一部メディアは「重病ではないか」と報道されていたそうです。

せっかく45歳も若い奥さんと結婚したんですからもっともっと長生きしないとですよね。

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当時は手足がけいれんするなどひどい状態だったらしく綾菜夫人が車で病院に連れて行き緊急入院したそうです。

そこで、薬の飲み合わせでパーキンソン病に似た症状を起こしてしまう「パーキンソン症候群」だと診断されたそうです。


綾菜夫人の献身的な看護のおかげで今は落ち着いているらしいのですが、加藤茶さんも72歳!

身体には十分気を付けて、これからも頑張ってもらいたいですね。

特に若い奥さんの為にもね。



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ドイツの格安航空会社(LCC)ジャーマンウイングスの旅客機墜落の真相と犯人の8つの事実とは? [ニュース]

フランス南部の山中で、ドイツの格安航空会社(LCC)ジャーマンウイングスの旅客機(乗客144人、乗員6人)が墜落してから、31日で1週間が経ちます。

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ボイスレコーダーの解析から、仏独捜査当局はアンドレアス・ルビッツ副操縦士(27)が意図的に機体を墜落させた疑いで捜査進めています。

副操縦士は「精神的な病気」で通院していたとの情報もありますが、何が直接の原因なのかはいまだに不明な点も多い。今回の事故(事件)のポイントをまとめてみました。



 ◇意図的だったのか?

ボイスレコーダーからの情報によると今回の墜落事故は副操縦士の「意図的な墜落」という説がかなり濃厚になってきています。
その理由としては、
1.飛行機の降下ボタンは意図的にしか操作できない。
2.ボイスレコーダーから副操縦士の呼吸音が聞こえており、その呼吸は正常だったこと。

以上の事から副操縦士が酸欠や、病気で気を失った可能性は低いと言われています。

また墜落直前には、機長が「ドアを開けろ」と叫んでいる声と背後で乗客の悲鳴が聞こえていたといいます。

このことからも「意図的な墜落」の線がかなり濃厚だと言われています。
しかしまだ、「技術ミスの可能性」の可能性も含めて慎重な調査が進められています。


 ◇動機は?

 「意図的な墜落」で捜査を行っているフランスの検察当局は副操縦士の自宅を家宅捜索したところ、加療期間内だったことが判明しています。
元恋人からも「精神的な病気で通院していた」との証言もあり、そのほかに、網膜剥離で資格に問題を抱えていたという報道もあります。パイロットにとって網膜剥離は致命的なことから、その発覚を恐れて、絶望したとも伝えられています。


 ◇管理責任は?

 ジャーマン社の親会社ルフトハンザは会見で副操縦士は健康診断や、適正検査に合格していたことを根拠に「異常なところはなく、100%操縦能力はあった」と言っています。
しかし、副操縦士は航空学校で訓練を受けていた時、一時的に「操縦不能者」のリストに分類されていたことがあるとの報道もあります。また2008年以降は、1年半にわたり精神関連の治療を受けていたとされています。

もし、航空会社側が治療歴を把握していたうえで操縦を許可していたのであれば、世間の批判は高まる可能性があります。
しかしジャーマン社ははこれまでの病気の診断書は提出されていなかったとしています。


 ◇捜査の進展は?

墜落からすぐにボイスレコーダーが回収されたため、副操縦士の言動については早期に解明できました。
しかし、まだフライトレコーダーが回収されていないため航路や高度の詳しないようについてはわかっていません。

墜落機は時速700キロで墜落したために、遺体や、機体の残骸の多くはいまだに地中に埋まったままだそうです。
その関係で遺体の損傷もひどく、身元を特定するのはDNAで鑑定を進めている状況です。

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アンドレアス・ルビッツ副操縦士(27)に関する8つの事実

公式に判明したこと
■ ルビッツ副操縦士は、航空機が山に墜落するようにプログラミングしていた。
 手動で100フィートに設定されていたとのことです。

■ ルビッツ副操縦士はコックピットのドアをロックし、パイロットが中に入れるように呼びかけても反応しなかった。
 ボイスレコーダーの音声から判明しています。

■ コックピットのボイスレコーダーによると、ルビッツ副操縦士は墜落の瞬間まで呼吸を乱していなかった。
 ボイスレコーダーの音声から判明しています。

■ ルフトハンザグループのカースティン・シュポアCEOによると、ルビッツ副操縦士は6年前にパイロットの訓練を中断した。

■ シュポアCEOによると、ルビッツ副操縦士はすべての健康診断と訓練に合格していた。


■ ルビッツ副操縦士の自宅から発見された複数の医師の診断書によると、彼は病気を抱えており、この情報を会社に隠していた。診断書の1枚は破かれていた。

■ ルビッツ副操縦士の自宅からは自殺をほのめかすメモは発見されなかった。

■ 過去2カ月間に、ルビッツ副操縦士はデュッセルドルフ大学病院に2度行っている。

いずれにしても事件の早期解明と亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
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東急プラザ渋谷 閉館!その跡地は? [ニュース]

東京・渋谷駅西口の複合ビル「東急プラザ渋谷」が、駅周辺の再開発のため、22日午後6時に閉館しました。

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最終日の22日は多くの常連客でにぎわっていました。

総支配人も、最終日を迎えた朝、「本日最終日となりますが、ひとときの幸せを感じていただければと思います。それでは東急プラザ渋谷、最後の営業を始めさせていただきます。いらっしゃいませ」とあいさつしていました。

東急プラザ渋谷は1965年6月に開業しました。
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当時としては珍しい複合ビルで、登りのエスカレーターしかなかったといいます。
帰りは階段ですね!

当初はオフィスビルとしてたてっれたので、エスカレーターは使わないだろと思っていたらしく、実際開業してからは下りのエスカレーターも設置されたようです。

今では地上9階地下2階の建物に90店舗のテナントが入っていました。
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その中でも最終日にぎわっていたのが9階にある日本で初めてのロシア料理店「渋谷ロゴスキー」でした。
「渋谷ロゴスキー」は終戦とともに失業した軍人の長屋緑と妻の美代が1951(昭和26)年に出店したのが始まりです。店名は、緑が軍に在籍していたころに満州(中国)ハルピンのキタイスカヤ街で食べたロシア料理店「ロゴジンスキー」を短くしたもの。現在の京王井の頭線渋谷駅のホームがある辺りにあったマーケットの「人通りまれな『四等地』」で、当初は8人で満席になるほどの規模だったそうです。そんな老舗の「渋谷ロゴスキー」も東急プラザ渋谷と一緒に閉店します。
そして移転先を渋谷あたりで現在探しているとのことですが、まだ見つかっていないとのことです。早く見つかるといいですね。


東急プラザ渋谷店は開業当初から日本初をいろいろ生み出してきたんですね。
最上階に食堂ができたり。懐かしいですね。子供のころ、家族で食事と言えば、百貨店の屋上のレストランでの
お子様ランチが一番のごちそうでした。

最近の渋谷と言えば、再開発が進み、「渋谷ヒカリエ」がオープンしたりして大きく変わろうとしています。

そんな中、東急プラザ渋谷店は4月から解体が始まり、地上18階地下4階に複合ビルとして生まれ変わろうとしています。渋谷駅西口の新たな玄関口となるでしょう。

完成は2018年度の予定でまだはっきりした事は発表されていない。

完成を楽しみに待ちましょう!


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